【魚にまつわるエトセトラ】

 巨大な結界により世界から隔絶された世界、幻想郷。
呑気な人間と呑気な妖怪が暮らすこの世界では、日々さまざまな出来事が巻き起こる。
これもまた、そんなある日の出来事の一つ・・・。


 幻想郷を騒がせた、欠けた月と終わらぬ夜の物語から、幾ヶ月。
紅く染まった木の葉も次々と地に落ち、季節は急速に秋から冬へと移ろうとしていた。
氷精の少女が、寒い季節を待ち焦がれながら、湖岸で一人カエルを凍らせていた、そんなある朝のこと。


 幻想郷の外れにある、寂れた神社。
その一室に敷かれた、2つの布団。
そのうちの1つが、もぞもぞと動き始め、そして。
「……ん……んー」
金色の髪の少女がひとり、布団の中からむっくりと起き上がった。
寝ぼけまなこを擦り、頭をぽりぽりと掻いてから、横を見やる。
隣の――もう一つの布団の中では、この神社の主である黒髪の少女が
相変わらず呑気に寝息を立てている。
「……やれやれ全く、よく寝てやがるこった」
そう呟いて苦笑し、少女は身支度を始めた。


 トレードマークの黒を基調としたエプロンドレスに着替え、
魔法使いの少女――霧雨 魔理沙(きりさめ まりさ)は、部屋の障子を開いた。
「う、寒っ……今日もいい朝だぜ」
白んできた空を見やって少女は一人ごち、傍の井戸まで歩いていく。
水を汲み、冷たさに耐えてざばざばと顔を洗って。
「ふー……さてと、んじゃ始めますか」
濡れた顔を拭ってから、少女は神社の台所へと歩を進めた。


 そもそものきっかけは、その前の日に遡る。
魔理沙はいつものように、その神社――博麗神社を訪れていた。
そしてこれまたいつものように、神社の巫女・博麗 霊夢(はくれい れいむ)との、
食事当番を賭けた弾幕勝負に臨んだのである。
いつもと違っていたことといえば、直接撃ち合って勝負をつけるスペルカードルールではなく、
間接的な攻撃のみでどちらかが落ちるまで耐久戦を続けるサバイバルルールで勝負したことであった。
魔理沙曰く、「こないだの事件で懐かしいスペルを使ったついでに、
こっちも久々にやってみたくなった」とのことであった。
勝負は3本勝負、2本先取。
この日の魔理沙は調子も良く、必殺のアースライトレイが炸裂して第1戦を先取。
第2戦も先に霊夢をあと1発のところまで追い詰めた……のだが。
霊夢はそこから、魔理沙の更なる攻勢に対し反則級とも言える超避けを連発。
早く落とそうと必死になる魔理沙であったが、
前方に集中するあまりに後ろから接近してくる妖精に気づかず、衝突。
あえなくこの勝負を落とすと、
続く第3戦でもあっさりと霊夢の陰陽玉に潰されてしまい
めでたく夕食&翌日の朝食の当番の座をゲットしてしまったのである。
「まったく……なんであれだけの攻撃の中を1分以上も粘れるんだよ、あいつは」
勝負のことを思い出して、魔理沙は苦々しげに笑った。


「さーて、米も味噌もOK、と……後はおかずをどうするかだが」
帽子の代わりに三角巾を被り、魔理沙は神社の台所を漁っていた。
「……お、干物発見」
棚の中に魚の干物が2匹。朝食には丁度いい。
「よーし、んじゃ今日の朝飯はこいつに決定」
言って干物に手を伸ばした、その刹那。

 台所を、一陣の黒い風が、吹き抜けた。

「っ……!?」
思わず腕で顔をかばう。
やがて風が止み、腕を下ろすと。

 眼前から、干物が、消えていた。

「なにぃっ!?」
大慌てで、風の吹き抜けていった勝手口から、外へ飛び出す魔理沙。
その視界の端に。
2本の尻尾と特徴的な耳をもった少女が飛んでいくのが、小さく見えた。
「……待ちやがれ、そこの泥棒ネコっ!!」
帽子を被って、箒に跨り。魔理沙は、最高速で神社を飛び立った。


「全く……神妙にしろい」
「ふわぁぁぁん、放してよぉぉ」
しばしの追いかけっこと、弾幕戦の末に、魔理沙は犯人を縛り上げることに成功していた。
凶兆の黒猫、橙(チェン)。幻想郷の境界に住む妖怪の、式神の、そのまた式神である。
「にしても、だ。何だってこんな真似をしたんだお前は?
 人の物を盗っちゃいけない、って、お前の主に言われてないのか?」
正面から橙を見据え、詰問する魔理沙。
実のところ、彼女自身もたびたび人の物を盗っていっているのだが、
魔理沙曰く「借りてるだけ」であり、勿論今も気にしちゃいない。
「……しかたが、なかったんだよ」
ぽつりと、橙が答えた。
「しかたがなかった? そりゃまたどういう事情だよ?」
「……紫さまが、近々冬眠する、って」
「……あー……なるほどな」
その一言で、魔理沙は全てを察した。
彼女の主の主、八雲 紫(やくも ゆかり)は、幻想郷でも屈指の強大な力を持った妖怪であるが、
その反動ゆえか、非常に長時間の睡眠を取ることで知られている。
特に冬ともなれば、家の用事やら何やらをすべて式神の八雲 藍(やくも らん)に任せっきりにして
冬眠に入ってしまい、めったに起きてこない、という。
そして、その冬眠の前に、起こることといえば。
「……食いだめ、か」
「うん……」
「……熊か、あいつは……」
苦笑する魔理沙。
「じゃあ……今回の件は、食料集めの一環としてお前の主人が命じた、ってとこか?」
そう尋ねると、橙は首をぶんぶんと振って否定した。
「違うよ! 藍さまは関係ないの!
 今回の件は私の独断だよ……藍さまは『お前は何も心配するな』って言ってくれてた……。
 けど、こないだから明らかに藍さまの食事の量、減ってきてて……。
 せめて自分の食べるものだけでも私が何とかできれば、
 藍さまも苦しい思いしなくてすむから、って……それで……」
目に涙を浮かべて語る橙。
じっと聞いていた魔理沙は、やがて背を向けて、言った。
「なるほどな……お前さんの気持ちも、よく分かる。
 けど……ダメだぜ、泥棒は。藍のヤツも悲しむぜ?」
「……分かってるよ……でも、じゃあ、どうすればいいの!?
 私、水苦手だから、泳いでる魚は取れないし……」
「……はぁ、全く仕方がないヤツだな……」
ぽりぽりと、魔理沙は頭を掻いて。
橙を縛っていた縄を、切った。
「……魔理沙?」
「ついてこい。手伝ってやるぜ」


「……湖?」
「あぁ。魚獲りだ」 2人は、幻想郷の一角にある湖のほとりに降り立った。
「でも魔理沙、どうするの?
 さっきも言ったけど、私、泳いでる魚は取れないし、それに竿だってないし……」
「まぁ見てろって」
そう言って魔理沙は懐から一枚の札――スペルカードと、愛用のミニ八卦炉を取り出した。
「無粋な漁法なんで本当はあまり使いたくはないんだが……今日は特別だ。
 いくぜ……」
魔理沙はカードに解呪のまじないを施す。
みるみる、カードから強大な魔力が溢れ出し、ミニ八卦炉へと注がれてゆく。
そして。
「……マスタァァァ、スパァァァク!!」
湖面めがけて、魔理沙は必殺の一撃を発動した。

 凄まじい轟音と共に、八卦炉から膨大な光が噴き出した。
湖面をえぐり、切り裂き、飲み込んでゆく、白き光の奔流。
……やがて、その光が徐々にしぼみ、収束しきっても。
橙は、呆然とその様子を見つめていた。
「……凄い……」
「驚くにはまだ早いぜ。ここから、だ。ほれ」
言って湖面を指差す魔理沙。
次の瞬間。
ぷかり……ぷかり……。
湖面に気絶した魚が次々と浮かび上がってきた。
「うわぁ……」
「岩を投げ込んで魚を気絶させて獲る『ガチンコ漁法』って漁法があってな……その応用だ。
 ほれ、急げ、魚が目を覚ます前に獲るぞ。これなら獲れるだろ?」
「え? あ、うん」


「ありがと、魔理沙っ♪」
たくさんの魚を抱えて、満面の笑みで橙が言う。
「なーに気にするな、お代はお前の主人の主人に会った時にでもたっぷり頂くさ。
 だから『よーく感謝して食べろ、あと自分の式は大切にしとけ』って紫に伝えておいてくれ」
「あはは、分かったよ。それじゃ、行くねー」
言ってふわりと浮き上がる橙。
「おーぅ、またなー」
しばし小さく手を振って、橙を見送る魔理沙。
やがて、橙の姿が見えなくなると。 「さて、と、私も行くか」
取り返した干物を手に、そう呟いて。 そこで、魔理沙は一つの違和感に気付いた。

 ……帰る? 一体どこへ帰るっていうんだ?
そもそも私は何でここにいるんだっけ? あぁそうか、盗まれた朝飯を取り返すためだよな。
……朝飯?

 そこまで考えが巡って、さーっ、と魔理沙の顔が青ざめる。
ばっ、と空を見上げる。
さっきまで山すそから頭を覗かせていただけのはずの太陽は、
既にその姿を空高くまで掲げていた。
「……やべぇっ!!!」
魔理沙は慌てて箒に跨り、全速力で博麗神社めがけて飛び立った。


「あいつが起きる前ならまだ間に合う、間に合ってくれっ!」
祈るような心持ちでかっ飛ぶ魔理沙。
ほどなく、神社が、見えた。
が。
その境内に立つ人影を見て、魔理沙の心は絶望に満たされた。
頭の黒髪に赤いリボン、変わったデザインの紅白の巫女服に、片手にお払い棒と札、片手に針。
博麗 霊夢、完全に臨戦態勢。
逃げろ、見つかる前に今すぐ逃げろ。本能がそう働きかける。が。
「あら、おかえり、魔理沙」
逃げるより早く、見つかった。
にっこりと笑みを浮かべて上空の魔理沙を見据え、霊夢が言う。
だが――目は、笑っていない。その目に射抜かれ、魔理沙は凍りつく。
逃げようにも体がすくんで全く動かない。ヤバイ、コイツ、本気だ!
「あ……あぁ、今日は随分と随分と早起きだな霊夢」
何とか、搾り出すようにそれだけ答えた……が。
「あんたほどじゃないわよ……そう、食事当番放り出してどっか行っちゃうあんたほどじゃ、ね」
次の瞬間、霊夢の周囲に膨大な霊気が噴出した。
「ま、待て霊夢、話を聞いt」
「問答無用! 食べ物の恨み、その身で受けなさい! 夢想封印・集!」


 どかーん。


 朝の博麗神社に、大きな花火が打ち上がった。あわれ、霧雨 魔理沙。



 日々繰り返される、そんな日常。
幻想郷は今日も平和なのである。どっとはらい。










 ……後日。


〔文々。新聞〕
『氷の妖精、謎の負傷 - 怪現象相次ぐ -』
 ○月○日の朝、氷の妖精が湖岸で目を回しているのを通りがかった妖精が発見、保護した。
気を失っていたほかは、かすり傷程度で命に別状はなかった。
負傷した張本人である氷の妖精、チルノ(妖精)は記者の取材に対し、このように語った。

「あーもう、びっくりしたなんてもんじゃないわよ!
 カエル凍らせて遊んでたらいきなり湖の向こうからでっかいビームが飛んできたのよ!
 あわてて避けたんだけど衝撃で吹き飛ばされちゃったわ。
 私じゃなかったら死んでたわよホントにー!」

 他の妖精に対しても取材を行ったところ、確かにこの日の朝、
湖を真っ直ぐに突き抜ける謎の光線が目撃されていたことが分かった。
幻想郷に新たな異変の起こる前触れではないか、という声もあるが、真相は未だ謎に包まれている。

 なおこの日の朝は、博麗神社周辺でも爆発が目撃されたという話もあるが、
今回の件との関連は不明である。
新たな事実が分かり次第、またお伝えしていこうと思う。 (射命丸 文)